激動の 1 年を振り返り、生成 AI が起こした大きな波を肌で感じる貴重な機会。Microsoft Retail Open Lab 第二回セミナー「流通業における生成 AI 実装・半歩先の課題を解決する」現場レポート
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生成 AI は「人」の能力を高度に補完し、企業のさまざまな変革推進に寄与する可能性があると期待されています。
マイクロソフトは OpenAI 社とのパートナーシップなどを通じて、現在この生成 AI の潮流をリードしています。そしてこの数年[Microsoft Cloud for Retail]といった施策を推進し、国内外流通(小売/消費財製造業)企業の DX プロジェクトに伴走しており、流通企業 DX のさらなる推進に向けて、生成 AI 活用の取り組みを支援しています。
そんななか、日本マイクロソフトは 2023 年に「Microsoft Retail Open Lab」を発足しました。Microsoft Retail Open Lab では、セミナーやワークショップなどの実行支援策を流通企業に提供することで、参加流通企業間及び IT ベンダー(パートナー)間のオープンなコミュニケーションを通じて共創を誘発し、より多くの企業が生成 AI 活用を通じて成果を得られるように、施策を順次展開しています。
Microsoft Retail Open Lab では、2023 年 6 月 30 日に記念すべき第一回目のセミナーを「知る」をテーマとして開催。オンラインを含む約 500 名の参加者は企業の垣根を超えて議論を交わし、生成 AI の現在地に対する理解を深めました。
第一回の好評を受けて、2023 年 12 月 5 日には第二回セミナーが開催されました。「流通業における生成 AI 実装・半歩先の課題を解決する」と題された本セミナーでは、この半年でさらに進化を遂げた生成 AI に関する情報共有と、先進企業の事例紹介を中心としたプログラム構成で、生成 AI が世界を席巻した激動の1年間において、真摯に生成 AI と向き合ってきた現場の生の声を聞ける貴重な機会となりました。本稿ではその模様をレポートします。
エコシステム全体をフォローするマイクロソフトの AI 活用ソリューション
セミナーの前半は、日本マイクロソフト株式会社 業務執行役員 エンタープライズ事業本部 流通サービス営業統括 本部長の河上 久子の開会挨拶に続いて、日本マイクロソフトによるふたつのセッションが展開されました。
日本マイクロソフトセッション 1
「AI 時代のインテリジェントアプリへのパラダイムシフト」
日本マイクロソフト株式会社
業務執行役員 クラウド & ソリューションズ事業本部 インテリジェントクラウド統括本部統括 本部長
大谷 健
大谷はまず、マイクロソフトがここ数年間でリリースしてきた対話型のアプリケーション「インテリジェントアプリ」を紹介しながら、「AI はあくまでCopilot(副操縦士)であり、人間の支援をするもの」であると、マイクロソフトの AI に対するスタンスを示します。
そして Bing Chat を例に取り、「“ ググる ”という言葉はもう古い言葉になるかもしれません」と語り、「これからは、 “ リサーチする ” という考え方から情報を生成するために“ 問いかける ” という方向に考え方を変えなければ、インテリジェントアプリは使いこなせません」と、AI との向き合い方を示唆します。
セッション後半では、流通小売業のグローバル活用事例の紹介が行われました。大谷は AIを活用して新しいユーザー体験の提供や業務生産性の向上といった成果を挙げている企業の事例を示し、共通する特徴として「見たことも聞いたこともないということをやっているというよりは、生成 AI に単純作業を任せて、空いた時間を人間しかできない仕事に振り向けている」ことを挙げます。
最後に大谷は「インテリジェントアプリをゼロからつくるのは時間がかかりますから、それをサポートするテクノロジーをぜひ活用してください」と、マイクロソフトが 11 月に開催したイベント「Microsoft Ignite 2023」で発表された数々の生成 AI ソリューションを紹介。あらゆる局面から生成 AI の活用を支援するマイクロソフトをアピールしてセッションを終了しました。
日本マイクロソフトセッション 2
「Microsoft AI CO-Innovation Lab Japan(Kobe)のご紹介」
Microsoft AI CO-Innovation Lab Kobe
所長
平井 健裕
次のセッションでは、神戸に開設された「AI Co-Innovation Lab KOBE」について、所長の平井 健裕が紹介を行いました。
世界で 6 拠点目となる同施設では、AI や IoT を活用したイノベーションの創出と産業振興を目指しており、AI を活用して企業の DX 課題の解決をサポートします。これまでに全世界で 800 を超えるエンゲージメントを支援しており、マイクロソフトは One-to-One のスプリントスタイルで顧客企業に伴走します。
平井は、原則無償でラボのスペースやソリューションを利用でき、常駐するエンジニアのサポートを受けられる点、自社開発したシステムの POC も行え、なにより最終的な成果物は企業側に 100% 帰属する点など、非常に使い勝手のよい施設であることをアピール。「ぜひご利用いただきたい」と参加者に呼びかけました。
多くの学びが得られた先進企業の生成 AI 活用事例
後半のセッションでは、住友商事株式会社、日清食品ホールディングス株式会社、株式会社メルカリの 3 社による生成 AI 活用事例についての講演が行われました。各社の取り組みは非常に先駆的なものであり、参加者にとって多くの学びが得られる貴重な時間となりました。
先進事例セッション 1
「住友商事における生成 AI の活用について」
住友商事株式会社
IT 企画推進部
伊庭 甫 氏
浅田 和明 氏
伊庭氏によると同社では、2023 年 4 月に CDO と CIO 直下に組織横断型の生成 AI 活用ワーキンググループを立ち上げて、生成 AI の実装による既存事業の高度化および経営のデジタル化、開発した事業の社外への横展開によるサービスモデル化およびインテグレータ事業の設立を目指しています。
このワーキンググループでは SC-Ai Hub(スカイハブ)と呼ばれる COE 組織を設置。この組織には同社の子会社で DX 技術専門会社であるInsight Edge社も参画しており、要件定義や開発におけるスピーディーな取り組みに大きな役割を果たしていると伊庭氏は語ります。
SC-Ai Hub では、Microsoft Teams 内にコミュニティを立ち上げてセミナー情報やガイドラインの発信や、システム構築相談への対応などを行なっています。本セミナー開催時で 800 名ほどの参加があり、38 件のアプリ相談案件が寄せられているそうです。
伊庭氏曰く、COE としての SC-Ai Hub が存在することで、新規事業の開発から POE までまとめて対応できるだけでなく、類似案件については既存のパッケージ化されたシステムを横展開できる利点があるとのこと。また、SC-Ai Hub ではマイクロソフトの「ユニファイドサポート」を導入しており、最新情報の提供や実装に関する相談対応といったサポートを受けられる体制を整えているそうです。
続いて、スカイハブが構築した「社内ルール検索チャットボット」「業務特化型生成 AI ソリューション」「意思決定支援ソリューション」の 3 つのアプリケーション事例について、浅田氏から紹介が行われました。
業務特化型生成 AI ソリューションのひとつとして紹介されたのは、「世界情勢の分析レポート生成アプリケーション」。グローバルでビジネスを行う同社では、世界中のさまざまな地域における社会・政治・経済情勢がビジネスに大きな影響を与えるため、世界のどこかで異常値が発生した場合には速やかにレポートをまとめてマネジメント層に報告する必要があります。「このアプリケーションには、レポート作成報告業務の効率化・高度化を担うことが期待されています」と浅田氏。
また「社内外の注目度が高い」(浅田氏)という「意思決定高度化ソリューション」は、総合商社として投融資の是非を判断する際に、同社が持つ過去20年の投融資データをもとに生成 AI にさまざまな観点からの判断材料を提供させて、投融資の判断を高度化しようとする取り組みです。
浅田氏によるとこのソリューションでは、地域や投融資の形態などのフラグを付帯させることで回答精度を向上させる技術が用いられているそうです。浅田氏は、「今後は人間の判断をサポートするレベルまで精度を向上させたい」と語ります。
さらに同社では、今後は共通のクラウド基盤を構築したうえで、SC-Ai Hub の取り組みを海外拠点に横展開させ、高度化の加速を図っていく構想を抱いているそうです。
最後に伊庭氏は「自社開発にこだわるのではなく、SaaS をできるだけ使い倒していく」ことが生成 AI 活用のポイントであり、精度を必要とされるソリューションに関しては自社開発も視野に入れた開発を行いつつ、Microsoft 365 などの SaaS サービスの Copilot 機能をフル活用することで身近な業務を効率化していくことも大切、と語ってセッションを終えました。
先進事例セッション 2
「日清食品に見る現場に根ざした生成 AI 活用の推進」
日清食品ホールディングス株式会社
執行役員 CIO グループ情報責任者
成田 敏博 氏
セッション冒頭で成田氏は、「日清食品をご紹介する上でひとつの象徴的な言葉をお伝えします」と述べて「カップヌードルシンドローム」という言葉を紹介します。同社では、国民の誰もが知るブランドにあぐらをかいて大企業病に陥ってしまいかねない危機感をこの言葉に込めており、経営トップから常に発信し続けているのだそうです。
そんな社風を持つ日清食品は近年、デジタルを駆使して自社を改革していく方針を会社として打ち出しており、今から数年のうちに生成 AI を駆使したルーチンワークの 50% 削減や工場の完全無人ラインの開発を目指しています。
そして同社では現在、Azure Open AI Service をエンジンとして、ユーザーインターフェイスを Power Platform で構築した、「自社版 Chat GPT」とでも言うべき「NISSIN AI-chat powered by GPT-4 Turbo」を開発し、検証を行なっているそうです。
成田氏によると、その発端は入社式で同社 CEO の安藤 宏基 氏が新入社員に投げかけた激励メッセージにありました。そのメッセージは Chat GPT を使って生成されたものであり、「このようなテクノロジーを賢く駆使することで多くの学びを得てほしい」という CEO の思いが込められていました。
このメッセージは、新入社員への激励に留まるものではなく全社員に向けたものとして社内に広まり、成田氏は「IT を担当している自分たちができる限り早く生成 AI を活用した業務の検証ができる環境を整えなければならない」と、部門に戻るやいなやプロジェクトチームを結成、取り組みを開始したそうです。
プロジェクトチームでは、まずはセキュリティとコンプライアンスというテーマでリスクへの対応策を議論し、社内向けガイドラインを策定。Azure Open AI Service での専用環境構築に 2 週間を費やし、関係各部門との調整を経て、4 月 3 日の入社式から 3 週間足らずで NISSIN AI-chat powered by GPT-4 Turbo をリリースするに至りました。
さらにリリース後は周知啓蒙に努め、ユーザー説明会の開催や社内報での連載記事掲載、社内ポータルやデジタルサイネージでの告知を展開。また、仕組みをつくって終わりではなく、全社を巻き込んだ取り組みとしてドライブさせるために、まずは対象部門を絞って集中的なスキル向上と効果検証を行い、それを成功事例として社内の横展開に繋げる流れで普及と活用促進を図っているそうです。
そして 2023 年末現在、12 の部門で NISSIN AI-chat powered by GPT-4 Turbo が活用できそうな業務の洗い出しと、効果的かつ汎用的なプロンプトの検討が行われており、2024 年初からはグループ企業への展開も予定されていると成田氏。
同氏は、「生成 AI には、人間が今まで考えていたことを少しずつ肩代わりしていける余地があると思っています」と語り、NISSIN AI-chat powered by GPT-4 Turbo のリリース経験から、AI 活用のポイントとして「社内情報を把握している AI をつくり、各業務システムと連携させる」「AI 利用を前提とした業務プロセスを確立する」の 2 点を挙げます。
最後に成田氏は、上司からかけられた「やってみなければできるかどうかもわからないのだから、失敗してもいいからどんどんやりなさい」という言葉とともに、「今私たちは非常に面白いタイミングを経験していると思います」という未来志向のメッセージで、セッションを締めくくりました。
先進事例セッション 3
「メルカリ生成 AI/LLM 専任チームの取り組み」
株式会社メルカリ
執行役員 VP of Generative AI/LLM
石川 佑樹 氏
石川氏によると、同社では以前から AI の導入を推進しており、マシンラーニングのエンジニアも多数在籍しているとのこと。しかし、ここ 1 年の生成 AI の変化は想定以上に大きなものであると判断。改めて「AI Driven」という方針を掲げて、機動的に動ける生成 AI/LLM 専任チームを組織し、「生成AI /LLM技術を用いた、新たなお客様体験創出と事業インパクトの最大化」と「前者の生産性の劇的な向上」をミッションとするプロジェクトを開始したそうです。
この専任チームでは「Enabling=全従業員が生成 AI を利用可能な環境づくり」と「Building=実際のプロダクト構築による価値提供」のふたつのテーマに取り組んでいると石川氏。まず Enabling の具体的な施策として「ガイドラインの策定」と「勉強会・ハッカソンの実施」を挙げます。
同社では一般のソフトウェアエンジニアもプロダクトを実装できるようなガイドラインを策定し、また生成 AI に興味はあるものの日々の業務に追われて学ぶ機会を得られない従業員を対象としたハッカソンの場を設けました。その結果、想定以上に理解が促進されることがわかったそうです。
一方、Building の具体的な事例としては、社員専用の Chat GPT「Mercari Chat GPT プラグイン」の構築が挙げられました。この社員専用 Chat GPT は 2023 年春頃にいち早く全従業員が活用できる環境が整えられ、現在は本家の Chat GPT への実装に倣って、書面の読み込みや画像の生成といった機能を使えるようにバージョンアップを行っているそうです。
石川氏は、現在は専任チームが主導して実装を進めるパターンと、各ファンクションチームが主導して専任チームが伴走するパターンがあり、足元は前者が多かったものの、ここ数ヶ月は後者が増えてきたとし、「今後はファンクションチームが率先して生成 AI の実装を進められる環境を目指したい」と語ります。
ここから話題は、より具体的な生成 AI の実装についてのアドバイスに移ります。石川氏いわく、生成 AI のモデルを実装するときには、マイクロソフトを含む各社が提供する API を活用する場合と、オープンソースモデルをファインチューンする場合、そして基盤モデルからすべて自分たちで構築する場合の 3 つのパターンが存在し、同社ではこれらを組み合わせて実装を進めているそうです。
続いて石川氏は、すでにリリースされた施策の代表事例を紹介。SEO の改善施策、自分の欲しい商品を Chat GPT に相談しながら探せるプラグインサービスなどを挙げ、広告クリエイティブへの活用事例においては「採用のクリエイティブなどなるべくお客様に迷惑をかけないところから進めて、徐々にお客様から見える場面に出していきました。最終的には渋谷のスクランブル交差点に設置されたサイネージに AI が作った PR 動画を流すことができたことで、ひとつの道をつくれたとのではないかと考えています」と胸を張ります。
最後に、出品商品の紹介文に対して過去のデータから改善提案を行うメルカリ版 Copilot 機能を紹介する石川氏。この機能では改善提案だけでなく AB テスト的なデータ取得を行い、アルゴリズム改善まで自動で行われていることを示します。石川氏は改めて「生成 AI を使ってさまざまなところに新しい価値をつくることを引き続きやっていきたい」と意気込みを語り、セッションを終了しました。
規定時間に収まらないほど白熱した Q&A。意見交換は延長戦へ
セミナーセッションの後には、登壇者と参加者との Q&A セッションが行われました。オンライン参加者からのものも含めて引も切らずに質問が寄せられ、各社それぞれの立場から真摯なアドバイスが送られていました。
「AI 活用の推進メンバーでは何名くらいのチームを組んでいますか?」という質問に対して、日清食品の成田氏からは「推進チームは 12 名ですが、専任ではなく希望者を募る形です。ちなみに当社には AI エンジニアはひとりもいません」と驚きの発言が。
成田氏によると、日本マイクロソフトのアドバイスを受けながら開発を進めていること、ローコードツールの Microsoft Power Apps を活用していることがプロジェクト継続のポイントとのこと。ゼロから構築するのではなく、すでにあるサービスを活用することで開発力は補えるとし、「体制に関する懸念はそこまで必要ないのでは?」とアドバイスが送られました。
一方メルカリの石川氏は、フルコミットの AI エンジニアによる10名ほどの体制を敷いているとし、AI に重点的に投資を行っている同社の姿勢が示された形に。この特化型チームと広告や企画など他のチームのメンバーが一緒に取り組むことで相乗効果を生み出せること、プロジェクトにさまざまな人材を巻き込んでいくことが成功につながることが示唆されました。
住友商事に対しては SC-Ai Hub の運営についての質問が寄せられました。伊庭氏からは「開発リソースを子会社に委託できているところがスピーディな動きにつながっていること、またスカウティングによって優れた AI エンジニアを確保できていることがスムーズな開発の理由だと思います」と回答が行われました。
続いては「予算を取るためにどのような働きかけをしたのか」という現実的な質問が。メルカリの石川氏は、当初は人件費と環境づくりのためという名目で低い金額から始めて、確実性の高い施策から実施し、ROI が得られた段階で増額を求めるという手法を取ったと言います。
一方日清食品では、利用する予定のマイクロソフトのサービス料金を元にざっくりとした予算組みを行い、その範囲でプロジェクトを進めているとのこと。各社の回答から、まずは事業インパクトの獲得が大きな意味を持つことが伺えます。
「それでもやっぱり使わない」と言う人にはどうすれば?という質問に対しては、日清食品の成田氏は「ほとんどの人間は触ってみて終わり。ごく一部が使い始める」ことを基本に置いて、トップダウンでの働きかけと、ボトムアップでスモールサクセスを積み重ねていく両面作戦を行なっているとのこと。「社内での活用事例を少しずつ増やすことと、手軽に使えるテンプレートをつくることがポイント」という具体的なアドバイスに質問者も納得の様子を示していました。
メルカリの石川氏からは、「次の半年くらいで普段使っているツールに生成 AI が搭載されるはず。そうすれば自ずと利用率は上がる。そこまで焦る必要はないのでは」とのアドバイスが送られました。
一方住友商事の浅田氏は、普段の業務のなかで生成 AI を活用する意識づけを行うことが大事であり、つくったパッケージの利用促進は同社においてもこれからの課題だと語ります。また伊庭氏からは、業務の棚卸しをして使える部分をイメージさせることが重要なのではないか、との意見が述べられました。
司会者の手元にはまだまだたくさんの質問が寄せられていましたが、時間内に収まらず、ここでセミナーは終了となりました。セミナー終了後に場所を移して開催された懇親会はまさに延長戦の様相で、企業の垣根を超えた活発な意見交換が行われていました。
本セミナーを通して得られた知識や体験は、参加した流通事業各社にとって大いに刺激になったはずです。各社とも貴重な AI イノベーションの種子を持ち帰ることができたのではないでしょうか。